トップページへ戻る

リンク 

 我が教室は、大正五年六月、東北帝国大学医科大学の発足に伴い内科学第二講座として設置された教室である。初代加藤豊治郎教授以来、中沢房吉、鳥飼龍生、吉永馨、阿部圭志、伊藤貞嘉の各教授が主宰し、大学院重点化による新制度発足まで継続した。第二内科の診療研究の歴史は加藤教授の経歴と深く関わっている。


初代:加藤豊治郎(1916年~1944年)


 加藤 豊治郎教授

 加藤教授は、明治十五年三重県に生まれ、明治四十年東京帝国大学を卒業後、三浦謹之助教授のもとで内科学とくに神経学を専攻した。明治四十三年には、弱冠二十八歳で仙台医学専門学校教授および付属病院に相当する宮城病院神経科科長に就任した。大正二年二月より二年半、ドイツ、オーストリア、イギリス、アメリカに留学し、フライブルク大学では心刺激伝導系、ウィーン大学では脳腫瘍、ケンブリッジ大学では自律神経の病態生理及び血液ガスの生化学的研究など、その後の第二内科、神経内科における研究の基礎となる業績を発表した。留学中の大正四年七月、新設された東北帝国大学医科大学教授に任命され、翌五年七月より内科学第二講座を担当した。昭和十九年三月定年退官するまで、二十八年間にわたり第二内科科長を務めた。

 加藤教授は生理学の藤田教授や佐武教授とともに、大正九年四月の創刊以来、東北ジャーナルの編集に携わり、本誌が日本を代表する英文医学雑誌としての地位を築く原動力となった。また、航空医学の重要性を早くから認識し、航空医学研究所の設立に尽力するとともに昭和十九年、研究所の設置とともに所長に就任した。終戦後、連合軍により研究所が廃止されたが、航空医学や宇宙医学の重要性が認識され発展している現在、先見性に敬服せざるを得ない。また、当時の航空医学の研究に、近年の第二内科における高血圧や内分泌研究の原型が少なからず認められる。

- Top | Home -


第二代:中沢房吉(1944年~1957年)


  中沢 房吉教授

 第二代の中沢房吉教授は、明治二十六年新潟県で生まれ、東北帝国大学医科大学の第一回生として大正八年七月卒業後、加藤内科に入局し、大正十二年助教授に昇任した。大正十五年より昭和三年まで、ドイツ、デンマーク、オーストリア、アメリカ合衆国に留学し、とくにコペンハーゲンではクロー教授の指導のもと、体液の膠質滲透圧測定装置を完成し、また、別に糸球体濾過の研究を行った。さらにウィーンではシュレジンガー教授のもとで内科臨床を見学した。

 昭和十九年、加藤教授停年退官の後を受け教授に就任し、神経病学、腎臓病学、高血圧学を教室の主要研究課題として多数の門下生を養成した。学会活動の代表的なものは、帰国直後からの研究をまとめた昭和十八年日本内科学会総会における宿題報告「膠質滲透圧から観た体液蛋白と内科的疾患」および昭和二十六年日本内科学会総会における宿題報告「高血圧病(臨床的方面)」である。後者は秋田県農村地域における高血圧に関する疫学的調査研究を含む教授就任以来の教室を挙げての業績で、世界的に高く評価され、その後の第二内科の高血圧研究の基礎となった。昭和二十八年医学部長を併任しその重責を果たし、昭和三十二年定年退官した。

- Top | Home -


第三代:鳥飼龍生(1957年~1973年)


  鳥飼 龍生教授

 第三代の鳥飼龍生教授は明治四十二年熊本県で生まれ、昭和九年東京帝国大学医学部を卒業後、東京帝国大学島薗内科に入局した。昭和二十四年より新潟医科大学(後に新潟大学医学部)第一内科教授となり、昭和三十二年九月より中沢教授の後任として東北大学医学部第二内科教授に就任した。
 
 鳥飼教授は新潟大学においてすでに内分泌学の第一人者としての地位を確立していた。とくに、昭和三十一年には Conn の原発性アルドステロン症の発見に引き続いてその本邦第一例を報告し、広く注目されるに至った。仙台に着任後にも第二内科に入院していた患者のなかに本邦第二例を見いだしている。鳥飼教授は、内分泌学全体にわたって、幅広く研究の指導を行うとともに研究の推進にも努めた。その結果、門下からはそれぞれの分野の専門家が数多く輩出することとなった。すなわち、レニン・アンジオテンシン系の内分泌学及び高血圧の研究では後任の吉永馨、阿部圭志、カテコールアミンについては佐藤辰男(後に熊本大学内科教授)、三浦幸雄(後に東北大学保健管理センター教授)、下垂体、副腎皮質糖質ホルモンについては三浦清(後に岐阜大学内科教授)、出村博(後に東京女子医科大学内科教授)、出村黎子(後に東京女子医科大学内分泌センター教授)、鉱質ホルモンについては福地総逸(後に福島県立医大学内科教授)、血液学については柴田昭(後に新潟大学長)、三浦亮(後に秋田大学長)、伊藤忠一(後に岩手医大医学部長)、腎臓学では斎藤寛(後に長崎大学医学部長)、糖尿病では佐藤徳太郎(後に東北大学内部障害学教授)、安田圭吾(後に岐阜大学内科教授)が、それぞれの大学で指導的地位についている。また、昭和四十年には東北大学医学部に脳疾患研究施設が併設され、その神経内科の初代教授には当時の第二内科の板原克哉助教授が就任した。

 門下生の指導において、鳥飼教授は決して自ら研究テーマを強制するようなことはなく各自の自主性に任せたが、研究の進捗状況には医局内で研究会を開き、随時報告を求めた。これは、テーマが見つけられない教室員にとって非常に厳しい指導であるとともに、優れた独創的な研究が生まれるきっかけともなった。このような教育的な姿勢は、臨床面の指導にも貫かれていた。すなわち教授は医局員の誰よりも早く病棟にきて、患者の異常やカルテの不備をチェックし、赤ペンでカルテに書き込んだ。また、総回診も主治医の力量が常に試される厳しいものであった。昭和四十四年には内科学会総会で「高血圧と内分泌」と題して宿題報告を行なった。

- Top | Home -


第四代:吉永馨(1973年~1992年)


  吉永 馨教授

 第四代の吉永馨教授は昭和三年栃木県に生まれた。昭和二十九年東北大学医学部を卒業、インターンの後、昭和三十年東北大学中沢内科に入局した。鳥飼教授のもとで、高血圧、特に昇圧物質の研究を行い、尿中カテコールアミンの測定法の開発は海外でも高く評価された。昭和四十一年一月第二内科助 教授、昭和四十八年一月に教授に昇任した。当時は、鳥飼教授の指導のもと、内分泌学をはじめさまざまな分野で第二内科の成果が認められていた。しかし、一方でいわゆる大学紛争のあおりを受け、教育、診療、研究等にもさまざまな支障が生じていた。とくに、第二内科では低カリウム血症を併発した甲状腺機能亢進症患者の死亡に端を発した医療訴訟問題、昭和五十年七月に発生した火災の事後処理など難問が山積していた。

 それにもかかわらず研究は発展し、教授が専門とする高血圧に関する研究はもとより、下垂体・副腎系、甲状腺、副甲状腺、抗利尿ホルモンに関する内分泌研究、腎生検を基礎として発展した腎疾患の研究、白血病の治療に関する血液疾患の研究、膠原病に関する免疫学的研究などにおいて国際的な学会や英文誌に数多く発表された。また、鳥飼教授の門下生が他大学の教授に就任したのも主に吉永内科時代であるが、そのほか吉永教授門下からは後任の伊藤貞嘉のほか、佐々木毅(後に東北大学大学院免疫血液病制御学分野教授)、保嶋実(後に弘前大学臨床検査医学教授)、今井潤(後に東北大学大学院臨床薬学分野教授)、斉藤喬雄(後に福岡大学第4内科学教授)、吉田克己(後に東北大学大学院医学系研究科 保健学専攻 病態検査学分野教授)、佐藤牧人(後に東北福祉大学健康科学部教授)、尾股健(後に宮城教育大学教授)、樋渡正夫(後に国際医療福祉大学教授)、庄司優(後に明治薬科大学薬効学教室教授)、井樋慶一(後に東北大学大学院情報生物学分野教授)、上月正博(後に東北大学大学院内部障害学分野教授)、大高徹也(後に東北大学大学院医学系研究科 保健学専攻 血液検査学分野教授)、高橋和広(後に東北大学大学院医学系研究科 保健学専攻 内分泌応用医科学分野教授)が、教授に就任している。

 吉永教授は論文の校閲において、和文の場合は筆者の力量を信じ筆を入れることは少なかったが、英文については余白のほとんどが訂正の文字で埋まるくらいに徹底的に添削した。そのおかげで、厳しい審査にも耐え一流紙に掲載された論文は少なくない。また、昭和五十七年日本高血圧学会を主催、平成四年四月には日本内科学会総会で「血圧の調節因子と高血圧の臨床」との演題で宿題報告をした。

 吉永教授はその任期の後半においてさまざまな要職に就いた。すなわち、昭和六十年四月から医学部附属病院長、昭和六十三年四月から医学部長を歴任した。平成二年十月には大谷学長病気辞任の後を受け、学長事務取扱として全学の責任を背負うことになったが、実質的には同年二月から十か月にわたる学長不在の難局を冷静に対処して無事乗り越え、平成四年三月定年退官した。

- Top | Home -


第五代:阿部圭志(1992年~1997年)


  阿部 圭志教授

第五代の阿部圭志教授は昭和八年岩手県に生まれ、昭和三十四年東北大学医学部を卒業、インターンの後、昭和三十五年鳥飼内科に入局した。鳥飼教授の指導のもと、高血圧とくに血管作動物質であるアンジオテンシン、ブラディキニン、セロトニン、ヒスタミン、プロスタグランディンなどの研究を発展させ、国内外から高い評価を受けるようになった。特に世界を視野に入れた研究を推進し、第二内科の国際化の基礎を築いた。昭和五十八年助教授となり、昭和六十二年には新設の大学院担当講座である病態液性調節学講座の教授に就任した。教授はここで大学院講座にふさわしく、時代の先端を担う分子生物学的研究、とくに受容体の遺伝子解析やイオンチャンネルの構造決定などの研究を推進した。一方で、学内のさまざまな要職についた吉永教授に代わり、第二内科の臨床面研究面での実質的な牽引車として活躍したので、前述の吉永教授の門下から輩出した教授は同時に阿部教授の門下生であるものが多い。阿部教授は、吉永教授の退官の後を受けて、平成四年八月第二内科教授に就任した。

阿部教授は、教養部廃止後の学部専門教育の変革に際し医学部教務委員会の小委員長および委員長として、卒後ただちに臨床に携わることが可能な医師の養成をめざし、六年一貫教育を導入する一方で、日本内科学会、日本腎臓学会、日本高血圧学会などの理事を務め医学界のリーダーの一人として活躍した。平成七年五月には日本腎臓学会東部学術大会、平成八年十月には日本高血圧学会を主催し、平成九年四月には日本内科学会総会で「高血圧の病態と治療」と題して宿題報告を行い、平成九年三月に定年退官した。

- Top | Home -


第六代:伊藤貞嘉(1997年~2019年)


伊藤 貞嘉教授

第六代の伊藤貞嘉教授は阿部教授の後任として平成九年八月より第二内科教授に就任し、その後の大学院重点化、新診療体制に伴うさまざまな難局を乗り越えた。伊藤教授はナンバー内科の最後の教授であり、平成十一年四月大学院移行に伴い、分子血管病態学分野(腎・高血圧・内分泌内科)の教授に就任した。

 

腎高血圧内分泌学分野は平成十一年の大学院重点化に伴い、腎・高血圧・内分泌部門の研究を行う分野として設立され、旧第二内科の伊藤貞嘉教授によって開講された。伊藤教授は昭和二十九年宮城県に生まれ、昭和五十四年東北大学医学部を卒業、古川市立病院で 内科研修後、昭和五十六年に第二内科(吉永馨教授)に入局した。阿部圭志先生のもとで高血圧と腎循環についての研究に従事し、翌五十七年からアメリカ・デトロイト市、ヘンリー・フォード病院、高血圧研究所のオスカー・カルテロ教授の元に留学した。単離傍糸球体装置用いたレニン分泌解析系を確立し、マクラデンサ細胞がレニン分泌を調節することを明らかにした。昭和六十年、第二内科にいったん帰国したがカルテロ教授の強い要請によって昭和六十三年に再び渡米した。この後、平成七年に帰国するまで合計十年以上に渡り滞在した。この間、腎糸球体輸入細動脈とマクラデンサの両方を灌流し、尿細動糸球体フィードバック機構を直接顕微鏡下で観察する方法を開発し、糸球体循環動態に関する数々の発見をした。伊藤教授の研究は、米国はもとより海外の学会において賞賛され、数々の賞を受賞している。レニン発見100周年国際シンポジウムでは25人のシンポジストのなかに本邦からただ一人招待を受けている。

本分野は腎・高血圧・内分泌内科を担当しているが、伊藤教授のこのような海外研究を通したグローバルな見識に基づく指導のもと、高血圧、腎臓疾患、内分泌代謝疾患の病態解明、診断および治療に対する研究について基礎および臨床の両面から幅広く行っている。また、これらの疾患を深く理解することを通して、総合力のある良き内科医の育成が本分 野の大きな目標である。

伊藤教授は第二内科教授就任間もなくより、国際競争が厳しい時代に対応できるような質の高い研究・臨床・教育のシステムを作成するための本学はもとより(病院長特別補佐)、文部科学省や厚生労働省の検討委員会に奔走している。そのかたわら、国際誌ネフロンの Chief Editor も務めるなど学術活動も活発に行っている。また、年に十名近くの諸外国の内科教授を招き研究講演をしていただくとともに英語での患者回診を一緒に行い、国際的スタンダードを得るよう心がけている。その結果、現在、優秀な若い医局員が成育されつつ ある。

伊藤教授のもとから、阿部高明(後に東北大学大学院医工学研究科 生体再生医工学講座分子病態医工学分野、医工学連携講座病態液性制御学分野教授)、菅原明(後に東北大学大学院医学系研究科 分子内分泌学教授)、酒井寿郎(東京大学先端科学技術研究センター 代謝医学分野教授、2017年から東北大学医学系研究科 分子生理学教授)、 佐藤博(東北大学大学院薬学研究科 臨床薬学分野教授)、中山昌明(福島県立医科大学医学部 腎臓高血圧・糖尿病内分泌代謝内科学講座教授、2017年から東北大学 慢性腎臓病透析治療共同研究部門教授)、有馬秀二(近畿大学医学部 腎臓・膠原病内科主任教授)、橋本潤一郎(宮城教育大学保健管理センター教授)が教授に就任している。また、米国時代にフェローをしていたLuis A Juncosはミシシッピ大学の腎臓内科の主任教授に就任している。

- Top | Home -


腎・高血圧・内分泌科の今

 私どもの分野、および診療科では体の働きを一定に保つ機能(恒常性)を持つ腎臓、視床下部・下垂体・甲状腺・副甲状腺・副腎に異常をきたしている幅広い疾病、病態について研究し、患者さんの診療を行っています。

 腎臓病領域では腎生検が当科で年間60-70例、関連病院からの腎病理診断依頼が250例程度あります。腎生検病理診断に加えて、血液や尿の分析、あるいは遺伝子解析なども患者さまの意向に沿って追加することで、より正確な診断に至ることも増えました。また、年間50-60名の末期腎不全に至った患者さまが新たに腎代替療法(血液透析、腹膜透析、腎移植)をはじめており、総合外科や臓器移植医療部と協力してすべての治療法の選択と実施が可能な体制が整っています。また、高齢者の方、仕事との両立など、腎代替療法の選択に悩んでいる患者さま、ご家族、かかりつけ医からの相談に応じています。

 二次性高血圧、内分泌疾患は症例の集約と追跡の体制が整備され、丁寧で確実な診断に定評があります。地域の医療機関の先生方の理解が進み、典型的な兆候を示さない段階で内分泌疾患が疑われ、早期にご紹介いただくことで臨床検査や画像診断の進歩の恩恵を得られる患者さまをみますと大変うれしく思う一方で、原発性アルドステロン症や腎動脈狭窄や褐色細胞腫などの二次性高血圧が心血管疾患や腎障害をきたしてから、あるいはクッシング症候群、甲状腺眼症など標的臓器の障害が生じて初診される患者さんも依然として見られています。我々は、専門領域を問わず、初期から、重症、難治性まで、患者さまそれぞれの医学的状態、社会的背景に最適な治療法が行われるよう、患者さま、ご家族、医療者が意見を出し合って方針を決めるようにしています。また、急性腎障害、慢性腎臓病、高血圧や内分泌疾患を持つハイリスク患者の周術期や妊娠管理のコンサルテーションなど大学病院の広い裾野を反映した症例数も多数あります。

 腎・高血圧・内分泌の分野に興味のある研究者や臨床医、この分野の疾患が疑われる患者さんを迎えるべく、皆様からのご連絡をいつでもお待ちしております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

- Top | Home -