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2014-01-01

同窓会エッセイ「永親会の名の起こり」日下隆先生著

当科同窓会員の日下隆先生(昭和48入局)より、同窓会エッセイ「永親会の名の起こり」を頂きました。日下先生、誠にありがとうございました。

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先生が以前に書かれた「第二内科カンパン物語」も合わせてご覧ください。

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2017-01-06

保健活動を考える自主的研究会での講演(伊藤貞嘉教授)

保険活動を考える自主的研究会が開催され、当分野伊藤貞嘉教授が以下の内容を講演しました。
(1)なぜ医者になったのか
(2)医者としての心構え
(3)腎臓の構造と機能

講演内容PDF

タグ : 随想・メッセージ等

2016-01-13

『Strain vessel仮説と生命の進化』 伊藤貞嘉 著




Strain vessel セオリー
 一日のGFRに含まれえるアルブミンは6Kg以上である。そのうちたった10mgが尿中に漏出するだけで、脳・心血管疾患の発症率が高くなる。 何故だろうか?腎臓の小葉間動脈、傍髄質糸球体輸入細動脈や脳の穿通枝は、①太い血管から直接、または、数少ない分岐ですでに細動脈に なる、②拍動性の高い内圧を受けている、③血管の緊張度が高い(圧較差を作るために)、という特徴を有し、Strain Vesselと呼ばれている。 動脈硬化では、まず、傍髄糸球体が損傷されアルブミンが尿中に漏出するが、他の正常の糸球体からの尿で薄められ、最終尿は 微量アルブミンンとなる。したがって、同様の循環系を有する脳の穿通枝の病変、すなわち脳血管障害と強い相関がみられる。
 何故、Strain vesselは必要なのであろうか?それは「生命の進化」による。元来陸上動物は食塩摂取が困難で、かつ、外敵との戦いによる 怪我のために、低血圧による循環障害が生命の最も大きな脅威であった。そこで、生命維持に重要な臓器の重要な部位には、太い血管から 直接細い血管が分枝し、血圧が低下しても十分な血流を維持するようにStrain vesselが発達した。

Strain vesselを思いついた経緯
 2006年6月7日のことであった。仙台で行われたクローズドの勉強会の懇親会で、東北大学第二内科同窓の宗像正徳先生(東北労災病院)が 「伊藤先生、アルブミン尿にもheterogeneityがあるのでしょうか?」と質問してきた。この瞬間、何故アルブミン尿が心血管病に関連するか の疑問が氷解した。
 私は1979に東北大学を卒業し、県北にある古川市立病院(現大崎市民病院)で研修医として2年間弱勤務した。将来開業することを目的に、優れた 一般内科医になろうと、多くの症例を経験した。様々な手技の習得にも積極的に活動し、2年間で上部消化管の内視鏡1000例、脳血管撮影150例を 超える経験をし、ERCPもできるようになった。血管撮影の結果はトレーシングペーパーに書き写し、所見と共に血管の名称などを書き込み、カルテに 貼っておくのが慣習であった。高血圧性脳出血や脳梗塞は穿通枝領域に起こることを自ら体験した。何故だろうと考えてみると、高々直径数十ミクロンの 細動脈が太い大脳動脈から分枝しているので、「血管内径の割にはとてつもない高い圧力にさらされているから、傷害され易いのだろう」と納得をしていた。 その後、はからずも、東北大学第二内科吉永教室の阿部圭志先生に師事し、腎臓と高血圧の研究をすることになった。 当時の第二内科では腎臓、高血圧、内分泌、糖尿病、血液、免疫疾患を担当しており、新入医局員は全ての疾患をランダムに割り当てられ、それぞれの 専門の先生の指導を仰ぐシステムであったため、極めて多様な経験ができた。腎臓研究班の先生方から、巣状糸球体硬化症は皮質の深いところにある傍髄質糸球体に 見られると教えられた。何故かと考えてみて、「その要因の一つは、傍髄質糸球体は太い血管(弓状動脈)に近いため、圧負荷が大きいからだろう」と自分なりに 納得していた。その後、米国に二度にわたり合計10年以上滞在し、輸入細動脈と緻密斑の微小灌流法を開発し、尿細管糸球体フィードバックを直接証明した。 この間、様々な技術的な課題をクリアしたが、考え続けて、突然解決策が思いうかぶのが通例であった。また、腎臓の微細な構造を観察し続け、構造と機能の関連の 必然性を考察し続けてきた。
 2002年米国から慢性腎臓病の概念が提唱され、多くの疫学研究が行われ、新しい事実が次々と報告された。その中でも大きな驚きは、一日10mgという 極めて微量のアルブミン尿が脳心血管病の独立したリスク因子として同定されたことであった。その機序をいろいろ考察し、「腎臓は血流の多い臓器で、糸球体は 高い圧力にさらされているので、全身の内皮傷害が最も尿に反映されやすいのだろう」と一応は納得していた。しかし、なんとなく違和感が付きまとっていた。 なぜなら、糸球体濾過は一日に150Lもあり、その中に含まれるアルブミンは6Kgにも及ぶ。「たった10mgで脳心血管疾患?そんな微細な 糸球体変化があるのだろうか?」などと考えている最中の、上記の宗像先生の質問であった。「そうか、アルブミン尿は傍髄質糸球体からのみ 出ているとすれば、他のネフロンからの尿に薄められてごく微量になる。しかも、それは穿通枝の傷害と同じ理屈になる」と疑問が氷解した瞬間であった。 その裏付けの研究をして実証もできた。脳も腎臓も太い血管から細い血管が直接分枝している。この様な血管の特徴は拍動性で高い圧力に さらされ、また、末梢組織に至る圧較差を維持するために緊張度が高い細動脈であることである。「緊張血管」など、いろいろ名前を考えてみたが、ある夜、突然、strainという 言葉が思い浮かんだ 。
 このような視点から、全身の臓器の血管構造を見てみると、脳や腎臓ばかりでなく、目や副腎など生命維持に重要な臓器にはstrain vesselがある。 川崎医科大学の柏原教授は膵臓にもstrain vesselがあることを発見し、その機能を精力的に検討している。このような観点から考察してみると、人体すべての 構造に意味があることが理解できる。腎臓は、循環、濾過やホルモンの産生のみならず、糖代謝にも大きな影響を与えている、特に、摂食時に糖新生を するが、その機序は腎臓の濾過再吸収、酸塩基平衡などに密接に関連している。
これまでの腎臓と高血圧の研究を通して以下のようなことを感じている。腎臓は極めて多くの種類の細胞や組織から構成されており、極めて複雑な構造をしている。 さらに、極めて多様な機能を持っていて、一見、理解しがたい臓器である。しかし、腎臓が生命維持のために果たす役割と使命の観点から腎臓を理解しようと 考察すると、その構造と機能が理路整然と、そして、精巧・精緻に構築されていることに驚かされる。進化という悠久な時間の流れの中で、これらの一つ一つが 偶然出現したものとしては、あまりにも美しく、神の創造とさえ考えたくなる。また、腎臓の構造と機能が破綻した腎疾患においてさえも、腎臓は本来自分に 課せられた使命を果たそうとしているように思える。腎臓の病態生理を研究することは、自分の英知を磨きながら一つ一つ謎を解き、神が創造した 大きなパズルを一つ一つ埋めていくことであり、知的喜びと満足がある。
 私のこれまでの研究の課題のブレークスルーは理論的な課題であれ、技術的な課題であれ、「何故かと考え続けることが、一瞬の閃きを呼び起こす」が その基盤であった。

  (『血圧』2013年1月号 創刊200号記念特集「創刊200号を迎えて」に掲載)



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2015-05-15

古川高校百十周年記念講演(2007年)内容掲載のお知らせ

2007年に行われた古川高校創立110周年記念式典での講演内容を掲載致します。


講演内容の詳細はコチラ


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2013-10-25

2013年8月:Budapest Nephrology School

今回はハンガリーのブダペストに行き、Budapest Nephrology Schoolで講演と座長をして帰ってきました。私の古くから(20年来)の友人であり、この会の主催者であるDr. László Rosivallには、以前からこの会に来るように何度も誘われていましたが実現できませんでした。今回は20周年記念でもあるとのことで、時間を都合して行ってきました。学会も素晴らしいものでしたが、ブダペストの街並みも大変美しいものでした。しかし、歴史を振り返ってみると、とても悲しく切なく、また、人間の尊さを感じさせる美しさでもありました。


 以前から、Lászlólは優れた人間であると感じていましたが、今回改めて彼の凄さを感じました。Lászlólはハンガリーで最も由緒ある大学Semmelweis Universityの病理の教授で、医学部長や副学長なども務めました。生まれは、1950年ごろで年齢は64歳(?)。科学論文から判定できる彼の業績はたいしたものではありません(我々の教室関連者の准教授以上の者の方がよっぽど業績はあります)。彼はハンガリー腎臓財団の生みの親で、財団は今年で満25年になります(1988年創立)。彼は、ハンガリーという極めて経済的に困難な国において、今でも大きな夢を描いています。常に、ハンガリーの腎臓学の発展を考え、後進を育てています。Lászlólが言っていました。「やりたいことや夢は大きいが、なかなかハンガリーの国の状況が許さない」。それでも彼は、公的忠義心に基づいて行動しており、世界の腎臓学者の信頼を集めて、現在、国際腎臓学会の理事でもあります。彼は、家庭や家計のことも考えますが、それに拘泥することなく行動しています。一方、とても明るく、話題も豊富で、ジョークもたくさん話し、かつ、自分の周辺にいる一人一人に対する心遣いがとても繊細で素晴らしい人間です。私は、20年ほど前にアメリカで彼に初めて会った時から信頼関係を築いて、自宅に呼んでスキ焼パーティーもしました。彼は、スキ焼で生卵を食べた唯一の外国人でした。


 ここで、ハンガリーの歴史を振り返り、Lászlólの生きてきた時間と照合してみたいと思います。ハンガリーの歴史は、正確ではありませんが、ざっと以下のようになります。西暦1000年頃にイシュトバーン1世がローマ帝国から戴冠し、ハンガリー王国を築く。その後、モンゴルやオスマントルコの侵略を受け、国は2分3分されるが、1700年ごろオーストリアのハプスブルグ家の支配となる(1740年にはマリア・アントワネットがハンガリーの女王となる)。一方、ハプスブルグ家の支配に反対する勢力も台頭するが、フランツ・ヨセフ1世の時代にハンガリア国会を承認し、ここに(1867年)、オーストリアとハンガリーの2重帝国が誕生する。この独立にはヨセフ1世の妻エリザベートも応援したという。ちなみに、エリザベートはヨーロッパ随一の美女で、ハンガリーを愛し、ハンガリーに愛された王妃であった。長身でスタイルが良く、乗馬が得意で、活動的であり、ハンガリア語を完全にマスターしていた。オーストリアを悪く思っても、エリザベートを悪く思う人はいなかったという。ブダとペストの間のドナウ川にはエリザベート橋が架かっており、市内随所に彼女を記念するものがみられる。ハンガリーが最も栄え、最も輝いていたのは、ヨセフ1世とエリザベート王妃の時代であった。市内各所にみられる素晴らしい建築はそれを物語っている。Lászlólに言わせれば、「ブダペストは人間の街だ。ウイーンやパリの建築物は巨大で人を寄せ付けないところがあるが、ブダペストは全てにおいてサイズが小さいが暖かい人間味が感じられる」とのことであった。なるほど、多難の歴史をくぐり抜けてきた建造物に文化の変遷の香りが随所にみられる。しかし、この繁栄も陰りがさし始める。エリザベートの子供たちは謎の死、または、自殺でなくなり、その後、彼女は黒い服を常に身に着けて、喪に服していた。彼女もまた、1889年にスイスのレマン湖のほとりで刺殺された。その後、皇位を継承するはずの甥のフェルナンド大公夫妻が暗殺される(1914)。これがサラエヴォ事件で、いわばこの仇討のために、オーストリア・ハンガリー帝国はセルビア政府に宣戦布告をした。これが、第一次世界大戦で、ドイツ、ロシアなどの帝国と同盟を組んで戦ったが、敗戦となった(1918)。ここに、帝国政治は実質的な終焉を迎える(王政はその後、第二次世界大戦の後になって完全に廃止された)。この敗戦で、ハンガリー帝国は国土の3分の2を失い、現在の国土となった。


 1939年に始まった第二次世界大戦では、終戦間際の1944年にドイツのナチスに占領され、多数の民衆(特にユダヤ人)が惨殺される恐怖政治が行われた。しかし、翌年ソビエトに解放され、第二次世界大戦の終わりとなった。解放されたとは言いながら、その後は、実質的にはソビエトの共産主義の支配下にあり、長年民衆が望んだ民主主義とは程遠いものであった(この頃Lászlólは生まれている)。1953年にスターリンの死去後に、ハンガリーに民主化運動が起こるが、ソビエトに制圧される。この時にも多くの犠牲者を出す(2万人の死者20万人の難民)。1980年代ソ連がペレストロイカ体制になり民主化が進み、ハンガリーがソビエトから解き放たれたのは1989年(汎ヨーロッパピクニック、ベルリンの壁の崩壊)、ごく最近のことである。その後、ハンガリーの政府は社会党が支配していたが、2010年に野党のフェデス政党が政権交代を果した。新政府は様々な政策を打ち出し、2012年には憲法改正も行った。また、通貨を予定していたユーロを取りやめ、フォリントのままにするなど、強力な姿勢で政治が行われている。これに対してヨーロッパ各国からの批判の声も上がっている。経済は輸出が好調だが、増税などにより、人々の暮らしは楽ではないという。確かに、質素な人々と街ではあるが、決して暗いイメージは無く、アメリカのスラムのような場所は無いようである。Lászlólに言わせれば「現在の政府の方針の方が以前に比べってずっと良い。どこに投資すべきか分かっている。例えば、ジプシーにはハンガリーはただ恵むことをせず、自立することを制作としている」とのことでした。


 このような歴史から、Lászlólがハンガリー腎臓財団を立ち上げたのは、ソビエトからの解放前後の時期である。自由になる資金も乏しく、このような財団を立ち上げるコンセプトさえない時代であったろう。それでも彼はそれを実行し、PhDプログラムを立ち上げ、これまでも何人もの人材を育て上げ、その薫陶を受けた者は世界で活躍している(昨年、仙台に招待したJanosは、multi-photon蛍光顕微鏡でレニンの分泌される実態を画像で示した、Lászlólの弟子の一人である)。Lászlólの本当の夢は、優秀な人材が国内にとどまり、国を発展させてくれることだと推測するが、なにせ、ハンガリーの国力が十分でないため、有能な人材が皆海外に流出している。若い人たちと話してみても、ハンガリーにはチャンス(自分を生かす良い職)が少ないと言っていた。残念なことである。日本もそのようにならなければ良いと思うが、どうだろうか?今の日本はかなり危険な状態ではないだろうか?


さて、Lászlólは何と、今、ジプシーの教育プログラムに取り組んでいる。ヨーロッパには多くのジプシーがおり、各国はその対策に悩んでいる。Lászlólはその問題の解決に大切なのは教育であると確信して、小さいながらも自らそれを行動にうつしている。ジプシーの中で優秀なものに教育を与え、自立させ、それをジプシーの社会に戻し、ジプシー社会を変えようというのである。彼はジプシーの社会に行って面接などもしている。政府の力も借りず、有志とともに歩んでいる姿は何とも美しい(見かけはメタボで白髪の体裁の上がらない風体)。現在まで16人のジプシーを教育して大学、または、大学院教育を完了させているという。既存の制度との戦い、協働する人材の獲得、資金面など大変な苦労であろう。さらに、1993年、彼はBudapest Nephrology Schoolを立ち上げた。彼は、ハンガリーや自分の大学のことだけを考えてこのSchoolを立ち上げたのではない。東欧は必ずしも恵まれてはいないが、これを克服するのは学問と世界との連携であるとLászlólは確信している。このSchoolの規模は小さいが、今は、完全に国際的であり、南北アメリカ、オーストラリア、アフリカからさえも参加者がいる。つまり、真に世界的であり、参加者は自費で、参加費を払って出席している。演者や座長も基本手にはボランティアであるが、それでも、毎年集まってくる。お金はどのようにして稼ぐかも大切だが、どのように使うかはもっと大切だ。このような活動が継続されているのは、すべて、Lászlólに対する信頼と共感が生むところであろう。このような活動は、国際腎臓学会やヨーロッパ腎臓学会が認め賞賛するところとなり、それらの協賛も得るまでになった。「人の価値は信頼」ということを彼は身をもって示している。


 今回の旅は実に有意義であった。国際学会などでLászlólとは何度も会っているが、ブダペストを訪れ、彼の活動を目の当たりにして、実に心が洗われるようであった。我々は人間として何を目指すべきか?我々の価値は何なのか?何をめざし、どのように生きるべきなのか?Lászlólの姿はとても輝いていた。近いうちに、日本、仙台に招待しようと思う。諸君にも紹介しよう。何の飾り気のなく、威張りもしない普通のおじさんだ。私にとっては、彼のような人物に再び巡り合え、親交を深めることができてとても幸福に思った旅であった。


2013年8月 伊藤貞嘉 記[教室員へ]



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2012-3-23

伊藤教授の留学体験記が艮陵新聞に掲載されました。

 

東北大学大学院 医学系研究科 医学部ホームページの艮陵新聞アーカイブでご覧いただけます。

◆ 艮陵新聞特集  留学体験記(1) 「世界を目指せ」

◆ 艮陵新聞アーカイブ


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